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*朝の資料です*
本日、生まれて初めてビラ配りというものをした。 都知事選に向けてマニフェストの検討を呼びかけるビラである。友人と自分の、二人だけの街頭運動だ。私鉄駅前のバスターミナルで、バスが到着するたびに人があふれ出て、駅の階段めがけて飛ぶように歩いてくるところを待ちかまえ、なるべく多くの人に声をかけ、ビラを手渡す作戦である。 しかし、そのビラは何とも迫力に欠けるものだった。本当は「浅野史郎」の名前を堂々と書いたビラを配るべきだと思うのだが、その場に立候補者本人がいない限り、その氏名やマニフェストを明記したビラを配ってはいけないと公職選挙法で定められているそうである。(自分の目で条文を確かめたわけではないが) それはともかく、今朝、6時45分から1時間半ほどビラを配っての感想は「はまった!」である。 最初は、なんかカッコワルイという気持ちがあったのだが、ビラに立候補者の名前が明記されていない以上、口に出して立候補者の名前を言わないと意味がないということに気づいて「浅野史郎をよろしくお願いします」と言うようにしたら、滑舌が悪くて、「浅野史郎」が「朝の資料」と聞こえるのが自分でも可笑しくて、そうしたら何だかカッコワルイという気持ちもどこかに行ってしまって、「浅野史郎です」「浅野史郎をよろしく」と声をかけながら、通行人の前に身を乗り出して、その目を見つめるという大胆な行動まで取るようになっていた。 見つめられると、おおむね人は3通りの反応を示す。 1)目を合わせて「ごめんね、うけとれないわ」「あさから、ごくろうさん」というシグナルを送り、かすかに首を横に振ったり、縦に振ったりする。出勤時に前に立ちはだかる人間に対する反応としては、かなり好意的(?)な反応といえるだろう。もちろん、それが浅野史郎に投票する人であると見なす根拠はまったくないけれども。 2)こちらにまっしぐらに向かってくるが、けっして目を合わせない。このパターンは女性に多いと感じた。ひとつ仮説を立てるとすれば、女性が守りに入っている、ということかな。目は合わせないけど、その目はかなり攻撃的な視線だった。「じゃまなのよ」って感じ。もちろん、女性がみんなそうだったわけではありません。 3)ビラを受け取る。または、「浅野史郎なんてのは宮城県で失敗した奴だろう」というように言葉で反応する。いずれにしても、他の2つの反応とは違って、積極的に関わってくれた感じがした。こちらも「ありがとうございます」とごく自然に礼の言葉が出た。 そんなたわいのない心理分析も楽しかった。雨が降ったため、傘を畳もうとする人にビラを渡すのはむずかしいことも分かった。いつもは道でビラ配りに出会うと数メートル迂回して歩く。それでも寄ってきたときは「けっこうです」と言うのが自分の流儀だが、今朝の帰り道では、思わず美容室のチラシを受け取ってしまって苦笑した。
(2007.03.30)
*恩人の死* 1995年のことである。博報堂のIBMチームと仕事をすることになり、六本木のIBM本社(当時)で、その方に初めてお会いした。その方とはソフトウェア部門でOS/2というパソコン用OSの販売促進を担当されていたS氏である。たばこがお好きで、打ち合わせ中もほとんどひっきりなしに吸っていた。携帯電話を持っていて、電話がかかると着信音ではなくバイブレーションで机の上をブブブブブといわせながら電話が少しずつ移動するのがおかしかった。 OS/2は企業用のパソコンOSという位置づけであるが、マイクロソフトが満を持して投入するWindows95に対抗するかたちで名前をOS/2Warpとあらため、山口智子を広告に起用するなど、IBMは大攻勢をかけようとしていた。その広告のボディコピーを書く人間がいないというので、僕が呼ばれたのだった。 S氏は、広告代理店の人間にはあまり良く思われていないようだった。あか抜けないというのだろうか。そのあまりにもパワフルな交渉術が、波風をたてることもしばしばだったようだ。ひとことでいってしまえば、かっこわるいのだった。でもね。代理店人間が評価するような、かっこよさって、何なのだ? 僕はどういうわけか、S氏に気に入られたようだった。OS/2Warpの仕事が一段落したあとも、ひきつづき事例広告の仕事を担当することになった。日経新聞の15段広告でOS/2の導入企業の事例を紹介するのである。しかも毎週2回、連続9本というものだった。まずIBMの営業担当者に取材し、導入事例の詳細をつかんでコピーを書く。それをもって導入企業を訪問し、システム部門の担当者に対して広告内容をプレゼンし、内容に誤解があればヒアリングし、その結果をもとにコピーを書き直してIBMと導入企業双方の承認が得られたら、出稿となる。その間のやりとりはすべてS氏を通しておこなわれるのである。 Windows95はブレークし、世の中はインターネット時代を迎えていた。急遽IBMはインターネットに照準を合わせて広告キャンペーンを打つことになり、その仕事は事例広告と同時進行でおこなうことになった。もう、大変な忙しさだった。午前中、丸の内で大手銀行に対して広告内容をプレゼン午後は京都でまた別の企業にプレゼン、などという日もあった。結局、9本シリーズの予定が、たぶん15本分の仕事になったと思う。それも一段落して、あらためてIBMのソフトウェア部門の仕事をレギュラーで担当することになった。 その後も、ホームページビルダー、ビアボイス、ジャバなど、パソコン用ソフトの仕事ではS氏とご一緒した。それ以外の機会にも、本当にお世話になった。よくご馳走してくれた。お酒は一滴も飲まれない方だったが、我々がビールをうまそうに飲むのをニコニコして見ていた。思い出すと切なくなる。決して人に好かれるタイプではないのに、人の面倒を見るのは好きなのだ。パワフルな交渉人も、仕事を離れれば、なかなかの人情家なのだった。 もうかれこれ10年も前のことだ。それからの僕はIBMの仕事を離れ、S氏とは年賀状のやりとりをするだけのおつきいとなっていた。でも、いつか、こういう思い出話をじっくりしたい、そしてきちんとお礼をいいたいと願っていた。しかし、それはもう果たせなくなってしまった。先日、ご両親からお葉書をいただいた。寒中見舞いとあったが、その内容に衝撃を受けた。S氏は昨年8月15日に他界されていたのだった。
(2007.02.02)
*群れに対抗するための論理「1:1」*
たとえば道で1人が3人連れと出会うとしても、1人より3人の方が3倍の力などということではなく、3人合わせて1人前。3人が横並びで歩いてきても、こちらは決して道を譲らず、3人連れが縦並びになって道を譲るが道理という姿勢で臨むべし。10人で歩いてきたって、たかが10分の1×10だ。 なんてことをついつい考えてしまう。駅まで歩くようになってから、そういうことが増えた。わたしは不寛容だろうか。だろうね。
(2007.01.06)
*森の教室*
昨日までの4泊5日、福島県小川町戸渡(とわだ)分校でのNPO遊学会「森の教室」に参加した。今年で3回目となる。それ以前は苗場を拠点にしていたが、その分を入れると5回目の参加となる。20代のほぼ10年間、幼稚園に勤めていた経験が、ここではとても役に立っている。起床時間から、食事の支度、野外活動、夜の集会、入浴、就寝まで、ごくラフに組み立てられたプログラムの中でこどもたちと過ごしながら、こども同士の間でおこるさまざまな摩擦や共感といったものに接するたびに、こんなとき、保育ではどうしていただろうと振り返るまでもなく、自然に手も足も、目も耳も、頭だって動いてしまうのだ。20代の僕は、まったく、どうしようもない無能な保育者ではあったけれど、何か骨格という感じのものが、あの頃に、確かにできあがりつつあったのだと思う。それが、転職したことで中途半端に途切れてしまったことは否めないけれども、それでも確かに骨格の一部は今もこの体の中にしかと残っているのだ。そんな骨格の存在を再確認するために、こうして参加しているのかもしれない。 森の教室には、今回、22人のこどもがやってきた。それに対してスタッフは僕も含めて10名。多すぎず少なすぎず理想的な規模であり構成だと思う。最後の晩の集会では、3つにわかれたグループがそれぞれの出し物を演じた。田んぼでの泥水遊び、ヨモギや藍の草木染め、肝試し、自分たちで粉を練り野菜や肉を載せ本物の石釜で焼いたピザのことなど、実際に体験したことや起こったことを題材にしながら歌やお笑いやファンタジーなども混ぜ込んで、まか不思議な世界が広がっていった。こどももおとなもいっしょになって、つくりあげていく、あの、なんというか…こういうおもしろさがあるから、やめられないのよね、という保育者(中毒者)もいっぱいいるはずだ。
(2006.08.04)
*30年後のライフタイム*
最近、トリオ・ビヨンドによるトニー・ウィリアムス・ライフタイムthe tony williams lifetimeのカバーアルバムが話題になっているようなので、久しぶりにオリジナル盤のほうを取り出して聴いてみた。トニー・ウィリアムス・ライフタイムとは、ドラマーのトニー・ウィリアムスが、ギタリストのジョン・マクラフリン、オルガンのラリー・ヤングと組んだバンドだ。私は大好きなマイルス・デイビスの数ある作品の中でも、もっとも好きなのが「ジャック・ジョンソン」なのだが、その雰囲気が、このバンドの作品のほぼすべてにも感じられて、うれしい。破天荒にして、繊細。脳髄を直撃する、破壊的衝動。とか形容するのも、あまり意味ないのだけれども、それでも、たとえば、美しくないところが美しいよね、とか、楽しくないところが楽しいよね、とか、やっぱり何かひとこと言わずにはいられない。そういう特別さがあると思う。そのようなことが、オリジナルから35年くらいを経て今日のトリオ・ビヨンドの演奏に感じられるのだろうか。正直、それはアマゾンの視聴データを聴きかじったくらいでは何とも言えない。買う?今は買わない。その代わりといっては何だが、ジョン・マクラフリンの新譜の「インダストリアル・ゼン」を買うことにした。35年後のライフタイムを期待して。
(2006.07.28)
*Earthquake Weather*
BeckのGueroを聴いている。Earthquake Weatherの暗くエキゾチックな響き、この不安感は何?こんな、のんきなことを書いているのも、ちょっと仕事が落ち着いて、新聞の切り抜きなど読みながら...と、そこへ電話だ。某信用金庫からである。6月25日に会員総会がある、これまでは委任状を担当者が届けていたが、今年から郵送することになった、今日、郵送した、ついては担当者が訪問するまで、捨てずにとっておいて欲しい。こんな内容だった。 先日、税理士さんに会った折りに、以前なら信金の人が毎月やってきて定期積み金を受け取り、そのついでという感じで、融資いかがですか、区の利子保証がつく低利の融資枠がありますが、みたいなことで、渡りの船というときもあったりして助かっていたんだけど、と話したら、その信金は方針が変わって、都市銀みたいに窓口対応主体にしていくらしいという。 そういう方針変更が、こういう委任状にも現れているのだろう。なんだか合理的なようだけど、都市銀と同じだったら、別に信金でなくてもいいわけで、「あの信金さんは、いろいろ相談に乗ってくれるから、都市銀より好きだな」という僕のような客を失うかもしれないね。委任状、捨てちゃおうかな。 金融業界の地殻変動ということがいわれて久しいけど、誰の足下が揺らいでいるのか、わからないね。 そんなことを書いてる間に、曲はUAのゼリー。もうほんとにゆらゆらですぜ。
(2006.06.02)
*蘇る白狼*
先だって文珍独演会を見てから、誰はばかることなく、だじゃれを連発している。笑い毒が全身に回ったせいだろう。さて、今月を振り返ると、毎週のように出張やら取材やらで家を空けている。そのなかで、ひとつだけ書いておきたいことがある。出張先は御殿場。あさ4時に起きて、5時に自分の旧式ボルボ(角角としたところが気に入っている940。もう10年も乗っているけど、飽きないなあ。でも、これは余計な話だ)で環8を用賀へ。このあたりで、もう眠くなってくる。朝っぱらからトラックが多くて、周りを取り囲まれているような状況、しかも渋滞だ。無理もなかろう。しかし、東名高速は空いていた。速度監視路線をさけつつ、適当に飛ばしていく。手には、やわらかい羊皮の、ぴったりとしたドライビンググローブ。決してスポーティではないクルマの見かけとあわないけれど、これをつけると、しゃっきりするのだ。気分は優作?いや革製の覚醒?か。 午前8時すぎ、目的地に到着。MIZWA小山デポで開催される、ポルシェを楽しむ会。ポルシェオーナーでもない俺が、なぜ?それは秘密だ。なんて思わせぶりするほどのことでもないのだが、まあ、とりあえず、ここでは関係ないので書かない。 ぜひ書いておきたいのは、ポルシェ911Sのことである。38年前に納車されてから、ワンオーナーでずっと来た。すでに老境にあるオーナーはそろそろ運転免許の更新をやめようかというけれど、それはおのれのポルシェ乗りとしての気概に自ら封印をするということであり、一方で911Sも、このままただいたずらに車検を繰り返していくのか、はたまた廃車という、もっともつらい別れを待つばかりとなってしまうのか、そんな状態だった。その911Sを、MIZWAのメカニックたちが、見事、新車同然に蘇らせたのである。よく見えるようにエアクリーナーをはずされたフラット6エンジンの吸気口は、まさにトランペットで、その快音は富士山の裾野に響き渡っていた(そういえば、かつてチェイスというトランペット主体のブラスロックバンドがいたっけ)。ボディも新車当時と同じグランプリホワイトのゆず肌で、エンジンもベストコンディションで、こんなに美しい911Sはたぶん他にないだろうという。博物館ではなく、誰かのコレクションルームでもなく、いつかまた路上で再会できることを願ってやまない。ポルシェ乗りではない俺だけど、そんな感慨をもって出張から帰ったのだった。
(2006.05.31)
*文珍独演会の毒*
昨夜、日本青年館での「文珍独演会」を家内と見に行く。落語は若い頃、友人とサンシャイン劇場で「サンシャイン寄席」を見て以来。桂文珍その人については、これも若い頃、日比谷野外音楽堂で「サウストウサウス」のライブを見たとき、おそらく手弁当だったであろう司会者が、戦闘服姿の文珍さんだった。当時から笑いに毒があった。 昨夜も期待通りだった。聴衆は中高年が多かった。そこへ毒まみれの小話を矢継ぎ早に、機関銃のように、撃ち込んでいく。私の隣には、まだ小学校高学年か中学生くらいの男の子が座っていたが、ほとんど最初から退屈しきった様子だった。当然だ。大人の笑いだ。テレビの子供だましの笑いとは違う。 中入りのあと、その子は戻ってこなかった。笑いの毒に当てられたのなら、まだしも、退屈の毒では救いようがない。
(2006.05.28)
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*SAIGENJI@恵比寿*
昨日、恵比寿ガーデンプレイスの広場でSAIGENJIを聴いた。 以前にCDを買って、時々聴いていたけれど、 ライブを見るのは初めてだ。 ボサノバとかサンバとかのカテゴリーだけではくくれない ダイナミックな曲想とテクニック、そして何よりも、 その声に圧倒された。 アンコールを含めて1時間20分ほどだったろうか。 けっして完成されたとは言えないけれど、 そこがまた魅力と感じられるようなステージだった。 隣で見ていた僕の妻は、やはり大きな感銘を受けていたようで、 「次はクアトロで」というアナウンスに、 できたら行ってみたいと言っていた。 僕は僕で、こういう楽しさを久しく忘れていたことに気がついた。 「この楽しささえあれば、人生の大概のことは、ガマンしてもいい」 と言い切れるような類の、そういう楽しさだ。 かつての、オルケスタ・デル・ソルのライブが、そうだった。 毎月のように原宿クロコダイルでのライブに通った。 簡単に言えば、追っかけだった。 SAIGENJIを追っかけるかどうかはともかく、 20年前のようにライブを生活の中に取り戻していこうと思う。
(2005.10.11)
*レストア工房* 日曜日、御殿場。MIZWA小山デポでのイベントを取材。近所にある、MIZWAの板金関係の協力工場であると同時に、とうの昔に生産の終わった古いクルマのレストア工房でもある「ラ・セール」を見学した。ご主人は、もとペイントマンだったが、鉄を磨いたり、叩いたり、削ったり、さらにはFRPで成型したりと、あれこれの技術を習得するうちに、すごい工房になってしまった。工場内でオールペイントを施されていた古いポルシェは、そのあまりの美しさに見学者が「新車よりきれいだ!」と感嘆の声をあげたほどの仕上がりだった。薬品を使わずに塗装を剥がし、金属部分をすっかり露出させてから表面を磨き上げ、下地塗りから何度も手をかけて、通常は目に触れないところまで、しっかりとペイントしていく。その意地とこだわりに、つくづく驚かされた。 場所は、新装あいなった富士スピードウェイの近くである。ご主人がいうには、「この近所には、クルマ1台が作れるくらいの技術が集積している」とのこと。今度はもっとゆっくりお会いして話を聞きたいものだと思った。
(2005.10.02)
*白昼の散歩者* たまたま銀座での打ち合わせから、青山での打ち合わせまで、3時間もの空白ができてしまった。そこで銀座から日比谷公園、霞ヶ関、溜池、六本木、麻布、青山まで散歩と洒落込んだ。実のところ仕事ではかなり追い込まれていたから、メモを片手に時々立ち止まっては思いついたことを書きながらである。こういうコースを散歩するのは初めてである。かつて若い頃は、原宿から新宿を抜けて江古田までという深夜の、つまり飲み終えてからの、終電後の、タクシー代節約の、散歩と言うには優雅さに欠ける歩け歩け大会というのをよくやったものだが。50歳を超えて、運動超不足の身体には少々無理があるけれど、この距離をゆっくり3時間をかけて歩くと、なにか非常によいことをしたかのような、満足感が残った。
(2005.09.28)
*亀若*
その人は自分のことを級長と呼んでいる。 ベーシストで、亀若というバンドを組んでいて、 今日は原宿のクロコダイルでライブをやったので、私も聴きに行った。 その感想を書こうと思います。級長、見てますか。
本日の亀若の演奏は、ひとことでいうと都会的であった。 正直にいうとさ、泥臭いブルースをやるには都会的すぎるかも。 あれもできるし、これもできる、という元プロゆえの器用さが、そうさせてしまうのかな。 そういうなかで、マジック・サムのナンバー「She belongs to me」と ルーファス・トーマスもやっていたという「Walking the dog」が断然よかった。今度から、そのスタイルで行け!というのが私の願いです。だって、踊りたくなっちゃったもん。
ところで、亀若の前に演奏したビッグマウス大橋&ウィンディシティボーイズ。 こちらは荒っぽいけど、何をやりたいか明快で、痛快だった。 「鉛の玉」(たぶん、そんな曲名だったと思う)が良かった。また聴いてみたい。
そういうことで級長、また聴きに行きますよ。
(2005.09.23)
*悲しい知らせ*
高田渡さんが亡くなった。 運転中に、16:45のJWAVEのニュースで知ったのだった。 昨夜「バーボンストリートブルース」 (高田渡著、山と渓谷社刊)を読む終わったところだったのに。 月末には「タカダワタル的」を見に行くのに。 でも、彼はもういない。 以下に、朝日新聞夕刊の記事を再録する。
高田渡さん死去--------------------------
「自衛隊に入ろう」などで知られるフォーク歌手の高田渡さん(たかだ・わたる)さんが、16日未明、公演先の北海道釧路市の病院で死去した。56歳だった。自宅は東京都武蔵野市中町3の2の10第2銀嶺荘105。 岐阜県生まれ。68年、京都での第3回関西フォークキャンプに参加して注目され、翌年レコードデビューした。 岡林信康さんらとともに、フォークソングが世相風刺・批判のメッセージとして支持された時代を象徴する存在だった。 社会や人間のせちがらさ、悲しみを、逆説的でとげのある歌詞に乗せて歌った。代表曲に「自衛隊に入ろう」「ごあいさつ」「自転車に乗って」など。 01年にアルバム「日本に来た外国詩...。」を出し、ステージ演奏は最期まで続けた。 04年にはドキュメンタリー映画「タカダワタル的」も公開された。
(2005.04.16)
*秩序@混沌*
森万里子さんは、 ヨーロッパで巨石遺跡と日本の縄文遺跡に 共通するものが多いことに驚いたという。 「文化が限られた地域で発達したのではなくて、 同時多発的に起こったのではないか。そこには 今の私たちのものごとを整理する、オーガナイズする という考え方とは逆に、 “混沌の中に秩序がある”という視点を感じました」 「現代では人の一生をひとつの単位として考えているけれど、 古代には何世代にもわたる大きな単位で 時間の流れを考えていたのではないか。 私たちの生はそんな大きな時間の一部であることを、 アートとして表現したい」 (BRUTUS562号P.37で紹介されている記事より)
(2005.03.29)
*劇場@スカート*
深井晃子さんは言う。 「1968年の5月革命で 女は男のものとされていたパンツを 自由に穿く権利を手に入れた。でも 男はいまだに自由にスカートは穿けません。 スカートこそ女の特権なんです」 「子供の頃、スカートを穿いていたら、 風がふうーと入ってきて、 ああ自分の脚がある、と感じたことがあるの。 そのスカートが脚に触れた時の触感、 官能性が忘れられない」 「パンツにはない、 スカートだけが持っている特徴は 動きだと思います。そして スカートの下には“劇場”があるわけですよ」 (BRUTUS562号P.43で紹介されている記事より)
うちの近所に、 スカートを穿いているおじさんがいる。 彼は自由を手に入れたのだろうか。
(2005.03.29)
*内心の自由@クローズアップ現代*
今夜のNHKクローズアップ現代は 「都立高校の卒業式と国旗・国歌」を取り上げた。 その勇気にまず敬意を表したい。 東京都教育委員会の横山某という男は、 きょときょとして、どうみてもただのちんぴらだが、 「教育指導要領に定められていることは、 法規的な強制力がある」の一点張りで、 教育公務員はこれに従うべきであり、 そうでないなら処罰の対象になると言っている。 では内心の自由はどうなるのか? 国歌斉唱の際に起立せず歌わない生徒に対しては 処分をするのか? との問いに対しては、 国旗・国歌を尊重する姿勢は 国民として当然のことである、という逃げを打って 言明を避けた。 そもそも国民として当然のことって何だ? 多様な考えを持ち、 それをお互いに認め合うというのが、 国民としてではなく、人間として 当然のことなのではないのか? 東京都は、 石原慎太郎という独裁者に乗っ取られた というのが私の意見だが、 その石原が「都立高校の卒業式において 国旗を掲揚し国歌を歌うことが 秩序を回復させる」と言っているらしいが、 ばかばかしい。まったく妄想だよ。 いっそのこと、卒業式をやめてしまえ。 旅立ちの会でも、お疲れさま会でも、 卒業祭りでも何でも良いから、 教育委員会がいうところの「公式行事」とは 微妙にずらしたニュアンスにして、 やつらの振り回す公権力から逃れたところで、 心からの卒業祝いをやったらいいんじゃないかな。
(2005.03.29)
*爆笑地下鉄*
京都市営地下鉄の鞍馬口駅から京都駅に向かう車中で、駅が近づくたび天井のスピーカーから流れるアナウンスが、どうも妙な雰囲気。日本語のような、中国語のような、英語のような...おっかしなイントネーションだなあ、もしかして京都弁?...そこで、じっくり耳を傾けてみた...すると、なんと、それは伸びたテープの音なのだ!思わず、僕は笑い出してしまったのだが、見回すと車中の誰も笑っていない。むしろ、怖い顔をしている、というのはこちらの気のせいかとは思うが、それから駅にして4〜5はあったろうか、もう笑いが止まらないのだった。そういえば一人だけ、笑っていた男性がいたようだが、あれは僕同様に京都の異邦人だったのか、それとも僕を見て笑っていたのか、それは分からない。はるばるお通夜のためにやってきた京都であったが、いかした土産を見つけたぜ。
(2005.03.11)
*誰かが押すだろう、だから押さない症候群*
たくさん人が待っているのに横断歩道の信号がいっこうに変わらないのでおかしいなと思って、押しボタン式信号機の押しボタンのところを見たら、誰も押していない、これじゃ変わるはずないじゃん。そんな経験をしたことはないだろうか。次のバス停でたくさんの人が降りるはずなんだけど、誰も降車ボタンを押さないのでイライラする。こういうことって、ないだろうか。誰かが押すだろうという妙な安心感のなかに、どっぷりつかっている人が多すぎる。誰かがでなく、私が渡るのだから、私が降りるのだから、私が押す。みんな、に安住しない。期待しない。そういう生き方は、さびしい、かなしい、と思うなら思うが良い。(押さなくても良いものを、つい押してしまう症候群、だったりして)
(2005.03.07)
*ホワッド・アイ・セイ*
今日は都立高校入試のため休校だといって、息子が映画を見てきた。 レイ・チャールズの伝記映画だ。この言い方、古いね。 さて、開口一番「お父さん、レイ・チャールズって知ってた?」と来た。 こちとら、ご幼少の頃の子守歌だぞ。 「盲目だったんだよ。知ってた?」 盲目だから凄いんじゃないぞ。凄いピアニスト兼シンガーが、たまたま盲目だったのだ。 そんな答を黙って飲み込みつつ 「聴いてみる?たしか何枚かあったはずだから」と言ってみる。 U2もいいけど、レイもいいだろ。 お父さんはDVDが出たら見ることにするよ。
(2005.02.23)
*ラウンドアバウト・シュミット* 見たいと思いつつ、なかなか機会のなかった「アバウト・シュミット」を見た。ジャック・ニコルソン演じる、常識で武装された狂気とでも呼びたいシュミット氏のふるまい。ストーリーの随所に仕込まれた小さな憎悪と復讐の、不思議な味わい。その中でも、40数年つれそった夫人が亡くなってからの、あれやこれやが楽しい。とくに、自宅のトイレで、彼が小便をまき散らすシーンは痛快だ。着座式の西洋便器。立ち小便をすれば、そこらじゅう飛沫で汚れるからと、我が家でも、つい最近、小便はかならず着座してすること、立ち小便は厳禁となった。慣れてしまえば、どうということもないけれど、シュミット氏は夫人によって同様の「躾」をされていたらしい。そのことに抑圧を感じていたシュミット氏は、つい、いつも通り便座にしゃがもうとして、一瞬ためらったのち、立ちあがる。俺は、立ち小便のやり方を覚えているだろうか、と訝しむような表情。やがて彼は小便をしながら、からだを左右に振り始める。そして満面の笑みとなり、上体をさらに大きくラウンドさせるのだ。どうだ!と言わんばかりに、まき散らすのである。そうして解放された彼は、ある決意をもって旅に出るのだ。
(2005.02.13)
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