◎やわらかい話◎2
*Dont trust over fifty.*

2005年1月29日をもって私は宣言する。
ドント・トラスト・オーバー・フィフティ!
まったく信じられない。50男のたわごとなんか。
50女でもしかりだよ。われわれはすでに、
覚えきれないほどたくさんの悪事を働いている。
そのうえなお生きていかなければならない。
従ってまだまださまざまな悪事を働くつもり。
50を折り返し点のように言うやからがいる。
勝利宣言、敗北宣言、続投宣言、などなど
いろいろ意味づけしたくなるお年頃なんだ。
でもね、これだけは言っちゃお仕舞いだよ。
ドント・トラスト・アンダー・フィフティ!
言えることは、ひとつだけ、自分を信じるな。

注。
1)カンノシュンイチロウは1955年1月29日に生まれました。
2)ここで記載されている悪事は、いわゆる犯罪とは無関係です。
3)Dont trust over fifty.は自分が50過ぎになったとは信じられない、
  という意味ではありません。

2005年 謹賀新年







*ハム食む*

木曜日夜の天気予報は、
明日の関東地方は気温5度、雨と伝えていた。
御殿場で12月初旬といえば、
雨が雪に変わっても不思議ではない。
防寒着や手袋、ブーツなどが必要になるだろう。
クルマのタイヤはスタッドレスではない。
一応、4年使ったミシュランのタイヤを、
新品に交換したが。お願い、降らないで!
しかし、翌朝の東京は快晴。
東名高速を走り出しても、
行く手に広がる西の空は、
雲ひとつなく晴れ上がっている。
いつもならFMや
テープ(今でも!)を聞いて走るのに、
今日は、何もかけず、じっと耳を澄ませ、
振動を体感し、これがロードノイズで、
こっちがターボの音ね、フムフム
なんてやっている。新品タイヤの
ミシュランパイロットプライマシーは、
(http://www.michelin.co.jp/local/pc/p1116.htm)
非対称トレッドパターンである。
これまで使っていたタイヤとは、そこが違う。
ただ正直に言って、
その違いが私にはよくわからない。
馬鹿だなあ。
こういうことを日常からやっているからこそ、
その違いにも気づくってもんだろう。
御殿場インターの第1出口を出て、
すぐに右折し、ちょっと走ると
左手にバラライカというレストランがある。
ここでカメラマン氏と待ち合わせである。
今回は
ミツワ自動車の小山デポで撮影&取材なのだ。
ところが、バラライカ前の道路は工事中で、
駐車場は閉鎖されクルマを入れることすらできない。
つまり臨時休業である。しかたなく、
隣の店舗の駐車場で時間をつぶす。
2店あるうちの、
まず、右側の「食彩の蔵 根上」に入る。
地酒や県内の特産物と思われる佃煮、
日本一の名人が作りましたという讃岐うどんなど、
店名のままの品揃えで、店主から佃煮の話を聞き、
うまそうな感じだったのでいくつか買う。
そして、いよいよ
隣の「御殿場ハムインター店 石川商店」だ。
こんな言い方をするからといって、
すごい期待をしていたというわけではない。
というか、まったく期待していなかった。
ところが、
中は、ごく当たり前の、お肉屋さんである。
そこで、おやっと思った。
地元の主婦が
今日の食卓にのせる食材を買いに来ました
という風情で、冷蔵ケースを覗いている。
三角巾をかぶりエプロンをした、
これも地元の主婦然とした中年女性が2人、
その応対をしている。なんか、いい感じだねえ。
御殿場ハムの陳列ケースには、
どうぞご試食くださいとハムやベーコンの断片が
おかれている。それに、手が伸びた。
ハム食む、フムフム。
こんなに塩辛かったんだ、ベーコンて。
昼飯前ということも、たぶん大きな理由だろうが、
うまいと思った。
ハムとベーコン、それにソーセージの入った、
お試しセットみたいな
詰め合わせパック(1,050円)を買った。
おみやげを買って、なんかもう
仕事が終わったような気分になったときに、
待ち合わせの相手が来た。

御殿場ハム
http://www.gotenba-ham.com/
http://www.jin.ne.jp/gotenba/
http://www.fujisan-net.jp/data/article/1577.html

(2004年12月11日)
こちらにも掲載しています。
http://d.hatena.ne.jp/kannos/





*吉田美奈子の音*

1977年3月、
吉田美奈子のTWILIGHT ZONE
というアルバムが発表された。
日比谷の野外音楽堂で
開催されたスプリングカーニバルでは、
矢野顕子が出演する予定だったが、
何かの都合で急遽、
ピンチヒッターとして
吉田美奈子が登板した。
そして、彼女自身のピアノと
ボイスだけで、演奏した。
(ぼくの記憶が間違っていなければ)
矢野顕子はたぶん
ソロピアノを予定していたのだろう。
だから、吉田美奈子も、
そうするしかなかったのではないか。
矢野顕子を期待してきた
多くの聴衆の失望を前に、
バックバンドのサポートもなく、
彼女は淡々と演奏していた。
TWILIGHT ZONEからの曲が
中心だったと思う。
夕闇の中、彼女一人、
横顔が照明の中に浮かび上がっていた。
(そのイメージが脳裏に浮かんでくる)
大変な事件を目撃している、
そう思っていたのは、
果たしてぼくだけだろうか。
不穏な空気
といっても、いいかもしれない。
いや、怒った聴衆が騒ぐとか、
そういう意味ではない。
TWILIGHT ZONEが醸し出す、
それ以前の吉田美奈子をはじめ
日本のミュージックシーンには
存在しなかった、
穏やかならぬ
新しい音があったのだ、
と思う。
暴力的なほどの、
新しさというか。
先頃、
VOICE IN THE WIND
という新作アルバムを聴いた。
さて、これは事件なのか。
WINDは、
サキソフォーンなどの木管楽器をさす。
ベース、ギター、ピアノ
といったリズムセクションを従えず、
木管アンサンブルによる
不思議なビートの揺らめきの中で
彼女はうたっている。
しかも、TWILIGHT ZONEを。
20数年後のぼくが、
あれは事件だった、
と思うような音が、
ここにあるだろうか。
残念だが、
それはむずかしいかもしれない。

(2004年12月7日)
こちらにも掲載しています。
http://d.hatena.ne.jp/kannos/

「もしもしサギ」

もしもし、シマですけど、
お母さんいますか。

どちらのシマさんでしょうか。

あの、練馬区で家庭教師を
やっているものですけど。

それは、どうも。
間に合っていますので、
けっこうです。

お子様は塾とかに
通っていらっしゃるんでしょうか。

そうです。
では、ごめんください。

夜分に、失礼いたしました。

(まるで、家内の
知り合いのような気安さで、
電話をかけてきた。年の頃は、
20代前半だろうか。
そのまま、取り次いでしまえば
家内を相手に
家庭教師の勧誘で
5分や10分は粘るだろう。
電話での最初のひとことの、
うまい切り出し方が
おれおれサギ的な狡猾さと
似ているな。)

(2004.11.17)






「第三成長期」

中学一年生の息子が言った。「とうさんは第三成長期だね」
息子は第二成長期を迎え、身長が急激に伸びている。
二人いる兄が髪型に気を遣うようになり、
その真似をして自分も毎朝ドライヤーを使っている。
ちょっとエッチな漫画を買って読んでいる。
その漫画を机に引き出しにしまっておいても
母親が見つけてしまうので困っているという。
めがねよりコンタクトの方がイイ顔と友達に言われたらしい。
どうやら好きな子もいる気配。
なにしろいろんなところが成長期なのである。
その息子に、第三成長期と言われた父親はどうしたらいいのだろう。
ほとんど成長の余地がない。というか衰退するしかない。
そう思って間違いがないのに、どういうことだ。
でも、しかし、もしも、これから、まだ、
この中年男に成長期ということがあるとしたら、
いったい、どのあたりが成長するのかな。
父はとりあえず息子に言った。
「第三反抗期なんてのもあったりして」
中学生の、いや中年男のしょうもないしゃれである。
が、これはこれで面白いテーマと思えるのだ。さて。
(2004.01.02)







十二月七日:
「年越運飩」

勝迹庵にて饂飩(うどん)を食べる。
年末は30日まで営業し、
31日の夜は年越しそば、ならぬ
年越し運飩(うんどん)を用意するという。
かつては
いろいろな地方で
年越しに食べるうどんを
年越し運飩と呼んでいたものだそうな。
店を始めた年は
この年越し運飩をたくさん用意したけれど
裏の神社が豚汁を振る舞うので
そちらにばかり人が集まり
店はさっぱりだったとか。
それで今はほどほどにしているとのこと。
「そばは細く長く、だけど
うどんは太く長く、なんだよね」
と店主。
美味いこと言うね。




十二月三日:
「かもめのジョナソン」

先週の金曜日、神保町に立ち寄った。
用事の合間の、ほんのつかの間。
ある古本屋の店先で
単行本200円コーナーを冷やかしていたら
「かもめのジョナサン」を見つけた。
うちにもあるので買う必要はないのだが
つい手に取ってしまった。
表紙の見返しに、なにやら書き付けがあった。
ページをめくったら次々にメモが現れた。
道元の曰く、みたいな。
元の持ち主は、なにか宗教的な関心をもってか、
人生の何かを知りたくてか、
この本を手にしたのだろうか。
拾い読みするうちに、ふと思った。
 あ、そうか。この本、
 書き込みだらけのせいで
 かもめのジョナサンとしての価値は
 そうとうに損なわれてしまったわけね。
 てことは、ジョナソン!
 ジョナサンがジョナソンになったから200円。
とりとめなく、そうして10分ほどもいただろうか。
本をワゴンに戻してから三省堂に行って
「漱石人生論集」を買った。
勢古浩爾氏の「ぶざまな人生」で紹介されていた本だ。
いま。
ジョナソン!という自分のメモを見ながら
これを書いている。で、思った。
 書き込みだらけの本のことを
 ジョナソン!と名付けるつうのは、どうだろね。
路上観察学会のトマソンじゃないけどさ。





十月二十二日:
「都会再聴」


大貫妙子
という女の子
の歌が、好きだった。
 その日暮らしはやめて
 うちへ帰ろう一緒に
と歌う「都会」が特に。
それを今、ひさしぶりに
耳にして
興奮した。
77年の作品
だから
4半世紀前か。
LPは今もある
けど、針のないプレーヤー
では、かけられない。
 Taeko Onuki Library
 Anthology 1973 - 2003
には「都会」が収録された。
それは私にとって
それゆえに最上の価値
が、あると、言える。





十一月九日:
「某車浸水」


怪奇現象である。
ふと、運転席から後席を振り返ると、
床が水浸しである。
最初は、今夏のことであった。
後席に乗っていた親戚の女性が
なんだか足が濡れちゃったんだけど...
というのでクルマを止め、その足下を見ると
ただごとではない。水深1〜2センチほども
水がたまっている。(なんで、それまで
気がつかなかったのか、それはさておき)
後日、ディーラーに持ち込んで調べてもらったが
原因不明。
エアコンで除湿された水が漏れだしてしまう
事例はあるが、それではないという。
そして、今回。
浸水の状況は、まず、クルマを縦に2分すると
その左側だけに、この現象が起こっている。
また、このクルマの場合、床には、
泥だけの靴でも気にせず
乗り込めるように“バスタブ”型の
プラスティック製カバーを
敷いてあるが、このカバーの内側にも
水が溜まるくらい、水位が高いのである。
カバーをはずし、溜まった水をぞうきんに
含ませ、排水すること数十回。でも、
なんだか後から後から浸みだしてくる
みたい...こわ。
怖がっている場合でもないので
本日ディーラーに入院させてきた。
“某”のつくクルマのディーラーである。おわかりかな。
退院は一週間後の予定であるが、
きっちりと原因を突き止めてくれるだろうか。
それでなくては困るのだ。
後少しで10年。その後も
まだまだ現役でいてもらわねばならない。
あ、これはまるで、自分のことだ。
オレハモウスグ某歳ナノダ。
ナケテクル...





十月二十二日:
「厭世人語〜11字X59行」


 お察しの通り朝日新聞
朝刊の天声人語をまねて
みたが実に厭なタイトル
だと思いませんか。天声
人語。いや、厭世人語。
◆今朝の記事は「イグ・
ノーベル賞」の紹介だ。
現在の天声人語氏は確か
以前には夕刊の素粒子を
担当していた人だ。その
大ファンだったのだが、
現在の素粒子はほとんど
見ることもなくなった。
人語の方は訂正記事とか
出ないかなと心待ちにし
ながら楽しんでいる。◆
かつての素粒子は、爆弾
発言や駄洒落やらてんこ
盛りであった。まじめな
政治談義をふざけた冗談
でまぶしているが、一種
爽快であった。天声人語
になって良い人になって
しまったのか、実は良い
ひとだったのか、それは
わからないけれど、つま
らない人になったことは
間違いない。天声人語の
人とは、そういうことな
のだな。◆天声人語は、
ある意味でノーベル賞的
と言えようか。で素粒子
の方はイグ・ノーベル賞
というわけね。ところで
素粒子は単行本になって
いるのかな。天声人語は
大学入試に出題されると
かで、英文対訳付きのが
出版されているみたい。
読み返される意味とか、
価値とかいうことが出版
するときの尺度になって
いるとしたら、素粒子は
やはり意味も価値もない
という風にみなされるの
だろうか。◆小泉首相の
わかりやす過ぎる発言は
わかりにくい現実を忘れ
させる効果があるけれど
新聞のコラムは駄洒落も
訂正記事もなんでもかん
でも総動員して、わかり
にくい現実を決して忘れ
させないように頑張って
ほしい。◆あれ、エール
になってしまったねえ。
これじゃはじめから厭世
人語の意味なしじゃん。
お、11字59行。やり。





十月十日:
「大変吉日」


ところは六本木である。
あの、時代を謳歌する高台の方面とは別の、
旧防衛庁正門向い側の細い路地を下ったあたり。
これといって特徴のない
ビルの2階に、そのバーはあった。
案内してくれた知人がドアを開けようとすると
鍵がかかっていた。オヤもう店じまい?
というにはまだ早すぎる時間だった。
ドンドンとドアをたたいた。するとカチリ
とロックがはずれて、中から
ほっそりと背の高い女性があらわれた。
50代後半から60代前半という感じで
落ち着いた雰囲気を持っていた。
ドアを開け、どうぞ、と言った。
中は、バーカウンター、背後に木の棚、
通路側にはスツールが並んでいた。
何もかもが古びていて簡素だが
居心地の良さそうな店だった。
知人はこの店となじみらしく
気安く女性と言葉を交わしていた。
右隣にもワインバーがあり、そこの客が
どういうわけか何度も
この店のドアを開けて入ってきて煩わしいので
鍵を閉めてしまったというのだ。
彼によれば、都内の著名レストランのソムリエや
バーのオーナーが、この店の客であり、その理由は
同じビルの1階にある酒屋が仕入れたワインを
この店で飲めるから、ということだった。
その酒屋の優れた仕入れ能力を、このバーで確認できる
という仕掛けなのだろう。
私にはワインの知識と呼べるようなものは、ほとんどない。
彼女が選び差し出したボトルは、果たしてどれほどの価値を
持っているのか、私にはわからなかった。
グラスに注がれた液体は、黒々として
重みと厚みを感じさせ、口に含んだ私は
それをうまいと感じた。
会話はほとんど途切れることなく続いた。
現首相と、現都知事の、口跡の悪さ。
なぜ、このような人物たちを
我々は要職に赴かせてしまったのか。
重みと厚みから解放されたワインが、我々のことばに
羽をつけた。
知人が言った。次の都知事は田中康夫だよ。きっと。
店の女性は、あんな気持ちの悪い人がなっては困る
と応じた。
どうしてですか、と私が尋ねた。
レストランで、愛用のぬいぐるみの分まで皿を用意させて、
連れの女性と「三人」で食事をするのを見かけた。
それはまだ長野県知事になる、はるか前のことだったけど、
人物の本質がそうそう変わるとも思えないから。
その返事に、私も何か納得するところがあった。
現都知事が命名したという大江戸線の最終電車に乗って
終点の光が丘まで行き、残りの道のりは
タクシーを利用して帰宅した。
自宅まで乗車賃が2000円かからなかった。
日付は変わっていたが、六本木にいた時間は
大安吉日であったことをふと思いだした。
私には、よい一日だった。
総選挙を決めた、この国にとっては、どうだろう。
大変、吉日。
そんなダブルミーニングに気をよくして、つい明け方まで
過ごしてしまった。だから今日は、十月十一日。